イタリア行きたい。

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「天気の子」を見てから記憶がループしていた。

ネット上ではあらゆる識者たちが「天気の子」たちへの感想を述べている。

 

 

まぁ俺も見たんだけどね。

正直賛否両論ある作品である以上、ネットが盛り上がるのは当然のことだ。

さすが新海誠と言わざるを得ない。

「君の名は」によって国民的アニメ監督へと上り詰めた新海誠が本来のスタイルである疑問をぶん投げてくる作品を作るのは正直強い。「君の名は」が上映する前にこの作品を投げていてもたいした反応は得られないであろう。このタイミングだからこの作品は威力を発揮したのだ。

 

今思えば「君の名は」も単純な話では無かったのかもしれない。

過去の災害を無かったことにするというテーマは幸せのようで自然災害を軽視してしまっている印象もある。普通の人間からすれば過去をどうこうすることはできない。そんなもどかしさを抱えた作品であった。

 

今回の「天気の子」も自然災害が関わってくるが、多数の意味での「君の名は」のBADエンドルートということばがしっくりとくる。歪なハッピーエンドを起こす子の作品であるが、「君の名は」のときでは「ヒロインを救うために自然災害からみんなを救った」事に対して「ヒロインを救うために自然災害を引き起こした」という対照的な作りとなっている。みんなハッピーエンドというくっそスイートな選択肢などではなく代償の強さを感じる作品であった。

この作品からは僕らへ投げかけられたモラルなのだ。他の識者たちも言っていたがこの作品は2000年代のエロゲー・ギャルゲーを彷彿とさせる作りとなっている。主人公の行動に納得できない部分が多すぎるのだ。まるでギャルゲーの選択肢のように。この物語は進むごとに僕たちに選択肢を突き出してくる。そのたびにぼくらはこんな風に進めるなど選択をしようとするが、選ぼうとしなかった選択肢を主人公は選び続けるのだ。考えられうる限りBADエンドへ直行するかのような。

しかし物語の展開が悪い方向に進むたびに、絶望的な状況をプレイする内に、僕たちはこのゲームがこういったゲームなのだと実感する。おそらく攻略難易度は最悪だ。

 

結論としてみれば帆高だってハッピーーエンドなどではない。帆高は日菜を救うためにゆがんだ世界を選択した。時間が経ってみれば沈没した東京。事実を重く受け止める。彼はこれからどのような人生を送っていくのだろう。他の人達からすれば異常気象のせい。あらがえないBADエンド。でも帆高にとっては選ぶことができたのだ。中学生の少年がそういった選択を迫られた時何を考えるのであろう。彼の幼さ故、といいわけをすることはできない。幼さの生にしてはならないのだ。帆高は今後、世界の形を変えたという自覚を背負い続けなければならない。それが例え正しい世界であろうと、ゆがんだ世界であろうと、彼はあのとき、「天気の巫女」がゆがんだ存在だと否定してしまったのだから、。