イタリア行きたい。

おおよそ誰の役に立たないブログを書いています。

ミュウツーの逆襲を見ても泣けなくなったのは僕の存在意義もわからないから

あんなに子供のころ号泣した作品のリメイクなのにこれっぽちも泣けなった。

 作品の出来は変わっていなかったまさに映像の面でも「EVOLUTION」だ。あの頃の名作をリメイクしてくれて本当に感謝をしている。

 

あの作品はポケモンの映画で見るなら?と聞かれたら4番目にオススメする作品だ。

あ?水の都とルギアとエンテイに勝てるはずがねえだろ。

 

まぁ映像の違和感もあったのだけど、大人になってみてみると新たな発見をすることが多い。

 

まずミュウツーについて。どの作品でも人間の手によって戦闘用に作り出された彼は「自分が生まれた意味」について葛藤する。コピーとして産み落とされ、人間のエゴの塊ともいえる存在だ。彼自身がメガミュウツーストーンでメガシンカした時、僕は多分涙を流したであろう。しかし、大人になって冷静に考えてみると、コピーとして勝手に作られて存在意義がわからないことはわかるが、その視点で考えると自分も親のエゴによってこの世界に産み落とされた存在意義の無い存在なのだ。それでブチ切れるとはどういった了見なのだろうか。*1生まれた瞬間に、あれだけの知能が備わっていればブチ切れるかもしれない。うん、そうなのか?生まれたばかりの赤ちゃんに知能が備わっていたらそうなるのか?この辺は考えてもきりがない。

そんで次に気になって仕方なかったのがミュウのサイコパスぶりだ。小さい頃はあの無邪気な様子を見て、イタズラ好きなんだなぁとか、かわいいなぁとか思っていたけど、アイツ発言するととんでもねぇこというんだな。「本物のほうが強い、コピーなど所詮コピー。ぶつかり合えば本物が勝つ」ってなんだよ。あのかわいい顔に似合わずなかなか過激な発言するじゃねぇか。そういった本性見ちゃうと、いまとなってはあのミュウサイコパスだぜとしか思えない。ラオウぶりの覇者だ。

 

結果としてコピーも生きているのだから傷つけあうのはやめよう。という結論に落ちるわけだがそれはまぁ大切だね。和解は大切だ。この調子で各方面も和解の方向に動こうじゃあないか。それにしてもミュウツーさん最後に「これは誰も覚えていなくていい」って記憶消すけど、手段が完全に偉い人の手段じゃん。みんな自分の過ちとかは最後まで責任を取って記憶に傷跡残していこうぜ。なんもなかったんだ。じゃないよ。大切な教訓だよ。俺は見ていたんだからね。

 

存在が憎くて仕方ないんだったらその孤独をみんなで分け合おうよ。

 

クローンといえば今放送中のアニメ・・・・おっと誰か来たようだ。

 

追記

ミューツー→ミュウツーに直しました

 

*1:大前提として俺は親に感謝している