一夜明けて深く考えたこと
凄惨な事件から一夜明けた。
以前、「しんどい気持ちの時はブログは書かなくていい」という記事を上げてからしばらく体調を崩していて、今現在が一番しんどい気持ちなので題意に反しているが、この気持ちを忘れてはならないと思い、筆を執ることにした。
正直昨日は一日中仕事に身が入らなかった。というか仕事に限った話ではなく、生活全体に対してだ。
昨日、出勤前にTwitterで「某所から火が上がっている」との旨のツイートが上がっていた。その時は、近くで火が上がっているだけじゃないのか?などの楽観的な気持で物事をとらえていた。
しかし通勤中に事態は急変。放火犯の犯行だと判明。
その時点で出た気持ちは「ありえない」の一言であった。
その後、意識不明者が増え、死者が確認。もう夢かと思った。現実を受け入れることができなかった。
僕の気持ちは最悪なことを考えていた。
「なんで、よりによって京都アニメーションで?」
最低だった。けど、それほどに僕にとっては衝撃的だったのだ。ほかの誰かが犠牲になればいいっていう話ではない。そんなことは考えたくもない。しかし、少しでも事件を自分から遠ざけたものにしたかった。
京都アニメーションとは、僕をこの沼に招いてくれた大切な場所だ。それはもちろん他の人たちの思い入れに比べればちっぽけなものかもしれないけど、ここで愛の大きさについての議論は何の意味もない。僕たち兄弟3人はこれらのアニメーションが築いてきた文化の上で育ち、大人となっていったのだ。
どこかの紛争地帯で起きた100人以上の虐殺に対しても「ひどい出来事だな」と思うことは会ってもひどく胸を痛めていることはなかった。それほどまでに世間に無関心だった自分をこの事件は強く突き詰めた。
この際、僕の感情などどうでもいいのだ。ただただ現実を受け入れたくなかった。仕事中は仕事の傍ら事件の顛末を追いかけていた。それほどまでに身が入らなかった。仕事が終わった後は茫然自失で帰路についた。
家に帰って母親に第一声「ありえない」と僕はつぶやいた。いつもは僕の趣味に対して訝しい顔をする母でも、今回の事件に関しては、兄弟三人が追っていたという事実も合わせ、会社に対しての知識は強かった。一通りのグッズが家にあるからである。
アニメの名前が飛び交う。
頭の中はぐちゃぐちゃだ。
正解などないのに、感情に正解を見出そうとする。
この考え方は不謹慎じゃないのか?けど、これまでの思いは?そこまで熱狂的でもなかったでしょ。そもそもテロとして悲しむべきじゃないの?犯罪に対しての私刑はやってはいけない。なんであの人材たちが。最大の殺傷事件だよ。
誰かに言い訳するように考え続けていた。正解なんてないのに。
大きな存在だったから悲しむという考え方は否定しなくてはならないが、否定することはできない。母も一定の理解を示してくれたうえで僕は寝床で涙を流した。
正直今だって何が僕のするべきことかっていう考えはまとまっていない。支援をすることも大切だとは思うけど、もう何もわからない。多分立ち止まっていちゃダメなんだと思う。それだけはわかる。
すごく心がしんどくて誰かのせいにしたい時こそ、普段どおりご飯を食べて、普段どおり働いて、普段どおり過ごしましょう。金曜日ですね。
— たられば (@tarareba722) 2019年7月19日
たらればさんはこの事態の最中もずっと発信を続けてTwitterを先導してくださっていた。フォローしていてよかった。
被災の時にも考えずに、こんな時に深く考えることになってしまった自分が憎くて、嫌いでどうしようもないけど、今は今後この気持ちをどう生かしていくことだけを考えていきたいと思う。亡くなってしまったものを慈しみ、生きているものは活かしていきたい。
ご冥福を祈ります。