イタリア行きたい。

おおよそ誰の役に立たないブログを書いています。

「友と呼べる人はいますか?」という問いに対しての解答

えっとまずはじめに断りを入れておきますとこの記事5分で書き上げなければなりません。

 半年くらい前ですかね。このブログのネタ探しをしようとおもって「お題箱」っていうのをTwitterに設置したんですよ。



なんかいろいろと書いてほしい内容とかあるかなぁって。けどね、実際来たのが「友と呼べる人はいますか?」って質問だけ。

 

ここは質問箱じゃねぇんだよなぁぁぁぁ

 

って思った。んで半年くらい放置していたんですけども、この度だったらそれについての内容で書いてやるよってことで今回の内容書かせてもらいます。

 

まず「友と呼べる人」の定義。これが一番難しいですよね。

 

 古来から様々な作品で「友達ってどうやったらなれますか?」って問があるわけだけど、これがまた難しいの。ふつうの人たちからすれば「気づいたらなっているものだよ」とかいう感じなんだけど、僕たちコミュ障からしたらそうもうまくいく話でもないわけ。

最近放送している「ひとりぼっちの〇〇生活」でも言及されてますけどね。いかに「気づいたときには友達になっているんだよ!」ってぼっちが言われても不安なぼっちは「友達になってくれませんか?」ってしんきゃアクターに話しかけていくの。言葉にしなきゃ伝わらない不安ってあるよねー。

 

そう考えると、友達の存在って何なんだろうねって感じになっちゃいますけどね。結論から言わせてもらうと僕に友達はいます。これはおそらくだけど一方的に思っていることじゃないんじゃないかなぁと思います。

散々普段からTwitterで「誰か遊んでくれませんか?」ってひとりぼっちを悪化させた感じのツイートをしていますが、毎週筋トレをしている連れがいます。まずそこで1カウントだよね。それに1シーズンに1回一緒にアウトレット行くやつもいますし、アナログゲームを一緒に遊ぶ定例会の定期的に会う人たちもいる。そういった「定期的に会う人達」ってのは確実に友達カウントしていいと思うんですよね。

それ以外の定義となると、「遊ぶ」っていう選択肢を選んだ時に頭の中に思い浮かぶ人が友達かなぁって認識がありますね。さすがに「一度遊んだから友達じゃん!」とか「一度話したから友達だよね!」みたいな一方的な感情は「友情」という感情に当てはまらないと思いますが、「友情」って言ってしまえば「”遊”情」だと思うのよね。そういった気持ちをお互いに持っていればそれを友達と呼んでいいと僕は思うの。

 

ん~~でもそれだと遊んだことが無い人も友達になるのか~~?ってなるけどそこはやっぱりお互いのすり合わせが大事だよね。そういった意味では、古来から作品で使われる「友達になってくれますか?」って非常に有効な手段だと思いますよね。うん。言葉に出すことって大切だと思いますね。(10分)

 

 

 

余裕でオーバーしましたね。