イタリア行きたい。

おおよそ誰の役に立たないブログを書いています。

休日のルーティン化という生存戦略

休日はどうお過ごしであろうか?

 

 

coccoco.hatenablog.com

 ついこないだ書いた話に関する解決編?に値するブログである。

前回のブログの結論では忙しい人がなにをして土日を過ごしているのかわからない。非リアの叫びをつづらせてもらった。

あれから土日をまたいだ。今週末の予定も特に入れていなかったわけだが、無事二日ともどこかに出かける次第となった。本来は日曜日に東京恵開催される初心者カメラ口座に参加しようかと思ったが、講義内容が絞りやらSSやらの入門中の入門の内容だったので今回は遠慮させてもらうことにした。

土曜日は友人と毎週互いに予定がなければ通うジム→プールの流れ。そのあと映画を見た。

日曜日はあまりにもやることがなかったのでボードゲームカフェに相席要員として丸一日参加させてもらった。

とても有意義な時間を過ごすことができたと思っている。ボードゲームカフェに至ってはまた一人でふらりと行こうと心に決めた。というか常連になろうかとも考えた。

 

ここで思ったのが、以前書いた記事だ。

 

coccoco.hatenablog.com

 去年までの自分は一週間のルーティンを組んで生活していた。毎週水・日曜日はジムに行き、それ以外の日はボルダリングをする。といった形で毎日同じ流れで生活できるようにしていた。

 

つまり毎週予定を探すくらいなのであれば、ルーティンを組んでしまい、全自動で予定をはめ込んでいってしまえばいいのだ。そうすれば、より各地の人と深く仲良くなることができる上に、物事の上達もはやい。ジムに至っては毎週言っているルーティンと化していますしね。

予定が飛び込んでこれば、そのルーティンを少しいじってしまえば毎週なにかしらの用事が入っている人間の完成だ。毎週予定が入っている人間になりたいわけではないが。

 

しかしこのルーティンを定める行為は個人的には少し退屈なものを感じてしまう。そこの人とより仲良くできる上にライフワークとなるのでとてもよい考えではあるが、そこが好奇心の墓場となってしまう恐れもはらんでいる。家ゴロゴロする時間は大切であるし、街で新しいものを探す経験も大切である。毎週同じことを繰り返すことは、ストイックな分、得られるものも多いが、失うものも少なくはないのだ。

どちらにしろ新しいものに興味関心を失うということは『老い』という言葉に片づけることができる。俗にいう『頑固者』が年長者に多い理由でもある。ルーティンをつくることは人生において素晴らしい生存戦略となるが、そこが墓場となる可能性もはらむブラックホールだ。僕もいずれは腰を据えなければならないであろうが、元気が続く限りは、予定が入っていないこの余暇を楽しみたいと思う。(22分)