イタリア行きたい。

おおよそ誰の役に立たないブログを書いています。

生活リズムの変化をどうしようか猛烈に悩んでいる

退職エントリも今日の出来事も書く気力が残っていない。

 というか更新の最高のタイミングを逃したくないのが本音だ。割と今日の出来事はイベントもたくさんあったので大切に記事を書きたいし、退職エントリも上げるならたくさんの人が目につく時間に上げたい。

三者の目なんかどうでもいいといいつつ、第三者の目を気にしながらブログを更新している毎日が続いている。一日1000文字以上というものも考え物だ。

 

さて、本日の本題だが、生活リズムについての話。

新生活になって実家に戻ってきたが、前の生活よりも時間がたくさんとることができるようになったせいか、時間がうまく使えていない。

以前の生活を思い出してみればひどいものだった。6時半には仕事がはじまり、毎日22時まで仕事が強制的に入ってくる。そういったスケジュールがない日は週に平日1日、隔週で土日休みだった。

それゆえ、自由に使える時間というものは限られており、毎週決まった時間をどのように使うかは、限られた可能性の中でいろいろと模索することができた。

しかし、今の生活は違う。もちろん仕事がまだ始まっていないこともあるが、自由時間がいかんせん多い。割と時間を持て余している方だ。休日と考えることができれば喜ばしいことであるが、これまで2時間のみの休憩時間をどのように使うかといった単位でスケジュールを組んできた自分にとって、突然12時間時間をあげます、自由に使ってください。と言われても戸惑ってしまう。もちろん仕事が始まっていないだけなのであるが。

以前ふと、Twitterで「毎日、1000万円あげます。ただし、その日のうちに使ってください。って言われたらどうしますか?僕は多分何もできない」という話題を出した。それと同様だ。人間というものは自由を限りなく求める生物であるが、同時に制限の中でこそ最も自分の自由をうまく使うことができる奇異な生き物だと私は考える。

勿論全員に当てはまる話ではないと思うが。

大きな自由は人の手に余ってしまうため、自分の扱い切れる程度の自由が本当にその人にとって幸せにつながるのかもしれない。

 

なんて難しいことを考えていたけど、やっぱり僕は毎日休日になってほしいし、不労所得が毎日1000万円欲しい。手に余る幸せなんかいらないといっている奴はブラック企業が向いているんだと思う。おそらく今の自由というものに慣れていないだけであって、慣れてしまえばこの自由もきれいに乗りこなして幸せにつながる方法を探し出せるんだと思います。そんな感じのことをグワングワンと「ええじゃないか」連続乗車によってぶち壊された三半規管を抱えながら書き記しています。

っていうかめっちゃグワングワンしてる。多分後で読み返したらめっちゃグワングワンしてる文章だと思う。

グワングワングワングワン

あー明日何しよう。

 

そもそも新生活始めたとか言ってるけど、今の部屋の状況見てみる?

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これのどこが新生活始まってるっていうんだよ。掃除してから新生活始めろ。

お前のその””自由””って言ってる時間は掃除するために与えられてる時間ってことに気づけ。富士急行ってるんじゃねぇ。