今現在流行というものに俺は取り残されている。もう人は死んだのだ。
時代の最先端にいたはずなのになんだかんだブームというものに今現在乗り遅れている。
大学時代から流行り廃りというものに結構敏感にいたつもりだった。
なぜならTwitterガチ勢を演じていたため、ささいな流行に対して知識を得るのは早かったし、すぐにのっかる簡単に言えば究極のミーハーだ。
大学時代の僕は隠れサブカル男子だったんだと思う。これは他己評価でなく自己評価だ。社会人になってからTwitterの頻度自体は落ちたのか上がったのかいまいち統計が取れないが、明らかに流行りに乗れなくなったのはどうしてだろう。
そもそもTwitterで情報を集めると言ってしまえば言い方がいいが、実際蓋を開けてしまえば、Twitter以外のツールに手を伸ばす体力が自分になかっただけなのだ。
体力を失ったオタクは取り残されていく。新たなコンテンツが年々形成されていくオタク業界では、アンテナの高さやこだわりの強さが重要になる。一昔前は涼宮だのけいおんだの言っていたが、最近はラブライブだのバンドリだの。昨年放送のグリッドマンでさえ一部のファンの間では過去の産物となってしまっている。
決して捨てているわけではなく、一時的に横に置いているだけだとは思うが、新たなものが出てきてしまえばだんだんと距離は開いていくだろう。
そういった新たなものに飛びつけなくなったとき、または熱情がそれにしか向かなくなった時、島を形成するのだ。島に移住してしまえば、新たなコンテンツに積極的に飛びつかなくなり、お試しで見るようになる。
僕もTwitterがそれだ。高校時代からいろいろなSNSを試したが、大学でお世話になったTwitterに落ち着いた。それからInstagramやらFacebook(厳密にいえばまだ続けている)やらTiktokやらいろいろなSNSが存在しているが、僕は流行についていけなくなり手を出すのをやめてしまった。
他のコンテンツにしてもそう。情報が入ってきても手を出せない。アニメに関しては今でもdアニメストアとアマゾンプライムに登録して、1シーズン10本はアニメを見れている。これは割と、流行に取り残されていない方だ。しかし、僕のTLをにぎわせているもう一つの文化「Youtuber」だ。全く乗れていない。
一時期は落ち着くのかなと思っていたが、勢いは止まることがなく、いまだに新たなコンテンツが生産され続けている。youtuberの発想力の高さには驚かされる。最初は毛嫌いしていたオタクも多かったが、「VTuber」の台頭によってオタクたちもそのブームに取り込まれてしまった。大学の後輩の中には、Vtuberにリプを送っているものも見受けられ、ついにここまで来たかと驚いている。
しかし、僕は全く波に乗れていない。おそらく今後も乗れないであろう。これは別に好き嫌いの問題ではないのだ。アニメを見るのは体力を使わない。脳みそを空にしてしまえばよいからだ。しかし、他の行為はこっちになにかを要求されてしまう。それをする体力を失ってしまったのだ。敷居をまたぐ体力が残っていない。
Vtuberだって多分嫌いではないのであろう。だってオタクなんだ。アニメの絵が動くだけで喜ぶ僕からすればそれが魂をもってしゃべっているだけで歓喜のものだ。しかし、見れない。何かが僕を流行りから遠ざけている。
その何かのせいで交友関係を失いつつある現状もある。SNSだ。前述でTwitterはやっているが他の媒体をやっていないといった。そのせいか、大学時代の人間の多くが消えてしまった。みんなInstagramに言ったらしいと風の便りで聞いた。未だにTwitterをやっている僕は流行に乗り遅れているのだろうか。しかし、Twitterは居心地がいい。規約が変わるときや仕様が変わるときにとんでもなく荒れるが、同類たちがいる感じがあって体力を使わない。そのぬるま湯につかって流行に乗るのをさぼっていたらみんなに置いて行かれた。
結果がこれだ。*1
誰か春休みに富士急でもいいし、日本のどっかの旅行でもいいので行きませんかね
— イトシ (@itoshi_cocco) March 18, 2019
みんな北海道か沖縄行こう!海外でもいいぞ!
— イトシ (@itoshi_cocco) March 19, 2019
僕のフォロワーさんにほとんど現実の人間は残っていない。この村は焼かれたのだ。
みんな流行なんて激流に流されずに、同じ世代の人間はみんな同じぬるま湯につかろうぜ。俺を置いていかないでくれ。本当に、その流行にのる体力を尊敬する。
僕は一人すすり泣いて夜を迎えた。
*1:僕の誘い方が下手なのはおいておいてください。