イタリア行きたい。

おおよそ誰の役に立たないブログを書いています。

この地にいるのもあと少しだし記念に激辛料理食べに行ったらただの地獄のはじまりだった話。地獄編

激辛料理の真の恐ろしさは後から来るのだ。(かなりスプラッタです)

 なんとか激辛ラーメンを完食し帰路へついた私だが、どうも胃に違和感を感じる。ほとばしるマグマのような熱さが胃内に居座っているのだ。だんだんとその違和感は大きくなっていき、耐えられないものへと変化していく。

何とか自宅についたが、すぐに多目的トイレに駆け込んだ。この多目的トイレは使用するものがいないため、人はやってこない。この建物には多目的トイレを使ってしかるべき人間がいないからだ。私はすぐさま便所に胃内の異物を出そうとするが、当然出てこない。食道が拒否しているからだ。それではどうするか。上から出せないのであれば下から出るのを待つしかない。しかし、時間は30分もたっていなかった。先ほど摂取したものが消化され、弁として出てくるのはまだ先のことだ。

私はその事実を受け入れることができずに動けなくなった。文字通り動けなくなったのだ。動くと我慢ができないからではない。胃の痛みが灼け付くように私を追い立てる。人生で初めて動物的防衛本能による体勢をとった。正座した状態で、体をうずくめて、外側からはただの球にしか見えない。なぜこの姿勢だったのかはわからないが、本能がそうしたのだろう。ふつうは激痛を迎えている時に正座をする由縁がない。

これが地獄というやつなのか。これまで幾多の激辛料理を食べてきたが、ここまで露骨に胃にブローを入れてくる存在に私は出会ったことがなかった。初めての会敵であった。胃たっぷりになるまで激辛のスープと唐辛子が存在している。胃は全面焼き尽くされどうすることもできない。動物のような防衛体制をとってどれほどの時間がたったであろうか。時間にすれば5分のことだったのか10分のことだったのかはたまた10秒程度だったのかもしれない。痛みが和らいできたのだ。もしかしたら激痛が走っている時間私の意識は飛んでいた可能性がある。しかし、唯一わかるのは足がしびれている。この足のしびれ、血流の停滞が私を痛みから遠ざけていたのではないかと思う。

 

そのまま元気なうちに部屋へと戻っていった。部屋に戻った後何をするべきなのか?当然、横になるという選択肢をとるであろう。私はベッドをメイキングし、すぐさま横になった。しかし、この選択肢が大きな間違いだ。横になった瞬間胃の中の液体は動き始め、まだ無事であった側面を焼き付けた。表現できないような痛み。その鈍器に腹を殴られているような痛みの前に、ベッドをかきむしり暴れまわった。しかし、暴れまわるほどに、胃内の液体は激しく動き私を攻撃する。挙句、ベッドが割を喰らう結果となった。

こんなことになるなら横にならない方がいい。そう思い、トイレの便座に座って時間を過ごすことにした。すると。痛みの隙間から小さなもよおしが。

いい。いい。とにかく体から外部に異物を少しだけでも出すべきだ。そう思い、私は用を足した。

 

 

!?!?!?!?

 

痛い。走る激痛。明らかに痛い。局部の先に激痛がいる。今外に出したものはなんだ? 小便には明らかに吸収されていないカプサイシンが含まれていた。それゆえ尿道を通るたびに悲鳴を上げる。私に救われる道は残されていないのか?私が何をしたというのだ。激辛料理を食べた。それだけじゃないのか。痛みを抱えながらなんとか用を足すことができた。

 

そののち、人をダメにするクッションを抱え込み痛みに耐えることにした。およそ30分に一度体を激痛が走り抜ける。陣痛と比べてはいけないと思うが、次の痛みがやってくるのが怖い。気づいたら時計は一時を指していた。意識が飛んでいたのかもしれない。すると、腹痛の様子が変わってきたではないか。先ほどまで体の中心部を暴れていた痛みが、下腹部まで侵食してきている。消化が始まったのだ。先ほどよりも鋭い痛みが体を襲う。これは。消化などという生易しいものではない。”昇華”だ。唐辛子のもつエネルギーが胃袋と小腸大腸を気体へと昇華させている。そんな痛みだ。先ほどにもまして体を横にすると地獄のような痛みが体を襲う。だからと言って、体勢を変えようとするたび、痛みはひどくなる。俺はもう死ぬのではないか?と覚悟した。

しかし、消化が始まったということは、しばらくしたらトイレに駆け込むことができる。少しだけでも痛みから遠ざかることができるのではないか。その場は耐えた。地獄のような時間の長さだった。時は来たのだ。行ける。

私はトイレに駆け込み、大をしたのだ。しかし、それは喜びなどではなかった。これまでにないような痛みがさらに襲う。先ほどからこれまでにないような痛みという表現を幾度となくしているが、毎回更新されるのだ。ボジョレーヌーヴォー並みの更新速度だ。出そうとするたびに体は悲鳴を上げ、気を紛らわせるため上半身の服の着脱を繰り返す。出すことができても少量だった。

時計は3時を回っている。極限状態まで追い込まれた私は、「明日仕事を休む」という選択肢が浮かび上がってきた。このまま俺はトイレで一生を過ごすのではないか?そうでなくとも明日は無理だ。 しかし、「激辛食って腹壊したので会社を休みます」とは社会人として自己管理能力の無さがさすがにひどすぎるのではないか?というモラルの葛藤が巻き起こる。そんなことを今考えていても仕方ないのにかかわらず。それほどまでに追い込まれる状況は朝5時まで続いた。

朝6時になるとだいぶ体も動くようになり、風呂に入ることに決めた。その鏡には戦のあとの憔悴しきったやせ細った体が映っていた。

 

俺は。。。生き残ったのか。。。。。

 

そういって私は仕事へと向かったのであった。

もう二度と激辛は食べない。