僕は「自己承認欲求の獣」である。
Twitterが好きで、大学時代にすぐにブログが音信不通になった理由の大部分はTwitterにあるといっても過言ではない。
そもそも、SNSを何個も掛け持ちする必要などないため、流行に敏感な若い世代からすれば、大衆的な媒体へと移動してしまうのは自然なことだと思う。
Twitterではいわゆる「ツイ廃」と呼ばれるほどにツイートを常習的にしていた。自分の状況を周りに知ってもらいたいという気持ちの表れであろう。当然、RTされる快感はたまらなかったし、自分で考えたネタで3000RTもらえたときは本当にうれしかった。
それゆえ自分のことを「自己承認欲求の獣」と思っている節があるのだ。それだけのためにインスタさえ始めようとした時だってあるくらいだ。
自分でも自分に反省してほしいと思っている。
むしろ猛省してくれ。
実際日常的に流れてくるRTは面白いものが多い。自分もそういった文章を書けるようになりたい。ぶっちゃけ言ってしまえば今回の文章の練習の目的も結論的に言ってしまえばそこにあるのではなかろうか。
しかし、この感情誰にだってあるのではなかろうか。神が許すのであれば、僕はジョニーデップになりたいし、米津玄師になりたい。妥協しろというのであれば、星野源でもいい。
しかし、それはできない。できないから、身近に結果を求めるのだ。Twitterの中では一般人でも承認欲求を満たすことができる。それゆえ、私のような獣が爆誕するのであろう。
ここまで歪んでしまった自分はもう手遅れである。高校生の時以上に斜に構えるようになってしまっているからだ。
むしろ斜に構えなければ、面白くなれないと思っている節さえある。節がありすぎてもはやムカデだ。
確か誰かが「斜に構えるのをやめたら道が開けた」と言っていた。
え・・・めちゃくちゃかっこよくない???
できるものならそうしたい。そのうえで承認欲求を満たしたいと思う。誰か、自己啓発本ではなく、斜に構えるのをやめる本を教えてくれ。急いで買ってくるから。
1000文字の文章を毎日書くといったが、二日目にしてもはや欲望をぶつける板になっている。むしろ一日目からそれ以外の何でもなかった。小説形式とか日々の出来事とか書きたいけれどそれを上回る物量の欲望が僕を支配してしまっている。ここまでくれば自分は「自己承認欲求の獣」などではなく、
もはや「可能性の獣」である。誰も俺を止めることはできない。欲望は止まることがない。
だから最後にTwitterよ、これ以上俺を誘惑するのはやめてくれ。