イタリア行きたい。

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親戚の集まりに参加して息苦しくなる俺も結局は身の寒さを覚える者だったという話

1月も中旬になって、ネガティブになりすぎた前回記事は置いておいて、年末年始の話にはいろう。

 

私の一家は、親戚も合わせて年末年始に集まるそういった一族感を大切にしている。

これに参加しないとどうなるもんか考えるまでもないし、そもそもそういった空気を恐れて参加しなかったことは一度もない。

そもそも年始に他の予定を入れることもないんだけど。思考停止ってやつかな。

 

主に参加するのは父方の祖父母をトップとした体系でその息子(父)と娘の一家が一堂に会す。

幼い頃は従兄弟の三兄妹と仲良く遊んだ覚えもあるけど、どんな遊びをしていたのか思い出せないのできっと世間体を気にした幻覚である。

 

さて、ここからが本題である。感じているのは家庭間での格差である。

まず我が一族の三兄弟のステータスを見てみよう。

長女は千葉に単身で就職しており、バリバリに働いている。そろそろ婚期を気にする年頃ではあるが、未だに男っ気も感じられなく結婚を遠く感じてしまう。

長男は結婚をしているが、結構昔にブログに綴っている通り結婚については側から見る限り上手くいっているようには感じられない。

嫁さんをこういった集まりに連れてくることはまず無いし、子どもについても見通しがあるのかも知らない。

そもそも俺も嫁さんに会ったのは結婚式が最後だ。

そして次男の僕は、当面結婚どころか恋愛の域まで縁がなさそうである。SNSではイキって生涯独身宣言を続けている。できないのではなくそうなることが必然だと思い込んでいるから別に平気なのだ。

 

それに対して叔母方の三兄弟は

長女 数年前から旦那さんを連れてきており、去年は第二子も誕生し、とても幸せそうだ。

長男 誰がなんと言おうとイケメンである。まだ結婚式をしていないが、婚約している彼女さんを連れてきており、とても楽しそうに結婚式の話をしていた。

次女 あまり詳しい話を聞かないのでここではあえて触れない。

 

この状況をみて、自分は非常に肩身の狭さを感じてしまった。いや、別に俺たち三人が悪いわけではない。しかし祖母がひ孫を可愛がる姿を見ていると心苦しさがすごいのだ。子どもの純真無垢に遊ぶ姿を見るたびに「いいなぁ」という言葉が出てきてしまう。

俺はまわりに対して、「おそらく俺は結婚できないし、しなくてもいい」と言い張っているが、つまりはそういうことなのだ。

全然平気じゃないのだ。俺が感じているのは親への申し訳なさや敗北感などではなく、結局は羨望なのだ。

人生の幸せなど誰が決めるものではなく自分が決めるものだ。俺は勝手に独身でも幸せだと決め込んでいた。本心は全然違うのだ。

かなしい

非常にかなしい

 

では聞いてください

UVERWORLDで「儚くも永遠のカナシ」

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