イタリア行きたい。

おおよそ誰の役に立たないブログを書いています。

流行りに乗って500円玉貯金をはじめたものの何かこれは違うという違和感に振り回される。

500円玉貯金が全くうまくいかない。

 テレビでやっていた500円玉貯金。貯金というものがうまくいかなかったのでこれを期に僕も始めてみようと思い500円玉貯金を始めたが、どうもうまくいっていない。

 

まず500円玉貯金と僕の思い出から話そう。これは僕のうまくいっていない500円玉貯金につながるものがあるかもしれないしないかもしれない。

私の母方の祖母は旅行が好きで、500円玉貯金をして1万円たまるたびに旅行費用の積み立てに充てていた。その500円玉を集めるのは孫である僕たちの役割だったのだ。僕たちはお小遣いを母方の祖母からもらうことはなかったが、500円玉を持っていくと100円玉6枚と交換してくれるというお小遣いシステムを採用していた。それは僕が高校生になっても続いていて、僕たち孫は躍起になって500円玉を集めたものだ。兄弟の中には、利益のために10枚以上持ってきて荒稼ぎをしようとするものもあらわれたが、流石に制限がかかって5枚までというシステムが導入されたのもいい思い出だ。そういった幼少時代を送っていたせいか、僕の財布にはいつも500円玉が入っており財布はパンパンの状態だった。何か買い物をするときも500円玉を崩すことができずにその日は財布にお金が入っていないようにふるまうことも多かった。

 

さて、話は現代に戻るわけだ。実際500円玉貯金自体はうまくいっている。始めてから3か月たった現在およそ100枚に到達する程度だ。しかし、ほころびが起きてしまっている。

まず第一に挙げられるのが「札の消費スピードの異常さ」だ。通常の人間であれば、財布に1750円入っている時、300円のものを買おうとするのであれば、500円玉を使うだろう。しかし、僕らはそれができない。1000円を使うのだ。そうすれば、500円玉が手に入るから。つまり貯金できるのだ。1000円分。なんて幸せなんだろう。

しかし、これが大きな落とし穴だ。それでは次に500円のものを買うとしよう。通常の人であればそこで1000円札を使って購入すればよい。僕らはどうするか?所持金としては通常の人々と同じはずなのに、僕らは450円しか持っていないのだ。買うことができない。どうしても欲しいのであれば、新たにお札を補充してこなければいけない。

そう、500円玉貯金ヤーはお金をおろした額の半分程度しか使うことができない。結果他の人々と同じ買い物をしようとすると、他の人たちよりも預金を1.5倍程度多くおろさないと、とてもではないが回らない。結果として、500円玉貯金自体はたまるが、預金口座はどんどん減っていく。現に僕の預金口座はここ最近額が増えていくのを見ていない。*1果たして預金貯金をしていた時に比べて僕が貯金ができているかは全くわからない。

 

第二に財布がヤバいだ。これが僕が500円玉貯金が下手である由縁だ。500円玉貯金は当然貯金箱に入れてするものである。しかし、幼い頃からの習性か財布にどうしてもため込んでしまう。祖母に渡すわけでもないのに。ざっと今確認してみたが、財布には16枚の500円玉が入っていた。

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先週の財布の中身


こないだ箱根に行ったときに至っては友人からパンパンの財布を指摘され調べてみたら20枚入っていた。1万円だ。つまり僕は1万円分の使えないおもりを財布に入れ続けて歩いていたことになる。これは500円玉貯金が下手なのだろうか。

 

そもそも500円玉貯金をしていて思うのだが、メリットをあまり感じない。これは現物的にはお金がたまっているが、預金的にはお金が減っているという謎のパラドックスが発生している。そもそも貯金しているのであれば、節約するべきである。

もはや自動販売機でおつりが900円出てくる時に100円玉9枚で返ってくると殺意が湧く。なんでこんなことで温和な僕が殺意を抱かなくてはならないのだ。理不尽で仕方がない。

僕たちは今後も500円玉という存在に縛られて生活しなければいけないのか。むしろ500円玉というものはすでに僕たちの思考回路の奥深くまで侵入しており、500円玉に深層心理で洗脳されているのかもしれない。

 

AIの反乱などより、500円玉の反乱が先だ。そんな恐ろしいことを考えながら僕は今日も生活をしている。

 

*1:これについては課金のせいといわれても仕方ないが